この「特性のない男」の初めのほうで、主人公が朝、新聞を読んでいる。時代は一九一三年、第一次世界大戦の前夜、場所はオーストリアのウィーンです。新聞を読んでいて、ある単語を目にとめて呆気にとられるのです。「天才的な(genial)競走馬」という言葉が使われている。いまどきスポーツ新聞などではいくらでも使います。ところが主人公は目を剥く「近ごろスポーツ選手によく、天才的なという言葉を使う。これさえ驚いてたのに、とうとう馬にまで使うようになったか」と。
天才Genie あるいは天才的genialという言葉はもともともおもに芸術、文学、哲学、学問のような分野に当てられたものなのでしょう。天才的な政治家、もある。天才的な弁舌家、革命家、軍人、というのもあるでしょう。要するに人にかかわるもので、しかも本来その人間の個性、人格、そして精神に深く関わるものと考えられてきた。だからスポーツ選手みたいな、肉体の運動能力につけられることにさえ違和感があった。それがとうとう馬にまできた。つまり人が落ちてしまったわけです。
そこから主人公はいろいろと考えを試みる。「天才的な」という言葉は人にかかわるものだと思っていたけれども、馬にもつけられるようになったということは、いまやもっぱら行為とか業績、行いのほうにかかわるものらしい、つまり主体の内実はもう問題ではなくて、それが何を行ったか、どれだけすぐれたことを行ったか、それにかかわるようになった、と。これもひとつの時代なんですね。
天才Genie あるいは天才的genialという言葉はもともともおもに芸術、文学、哲学、学問のような分野に当てられたものなのでしょう。天才的な政治家、もある。天才的な弁舌家、革命家、軍人、というのもあるでしょう。要するに人にかかわるもので、しかも本来その人間の個性、人格、そして精神に深く関わるものと考えられてきた。だからスポーツ選手みたいな、肉体の運動能力につけられることにさえ違和感があった。それがとうとう馬にまできた。つまり人が落ちてしまったわけです。
そこから主人公はいろいろと考えを試みる。「天才的な」という言葉は人にかかわるものだと思っていたけれども、馬にもつけられるようになったということは、いまやもっぱら行為とか業績、行いのほうにかかわるものらしい、つまり主体の内実はもう問題ではなくて、それが何を行ったか、どれだけすぐれたことを行ったか、それにかかわるようになった、と。これもひとつの時代なんですね。
「ロベルト・ムージル」 古井由吉 岩波書店 p124,125
1 year ago